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73回タイトル

「ヒオドシ」

久しぶりに出会った蝶がある。随分通った大阪城公園では、初めてになる。特段珍しい蝶ではない。にも拘らず、これ迄見られなかったのは運が無かったのだろう。
4月19日、梅林の青屋門側から入って直ぐの地面に、その蝶は留まっていた。ヒオドシチョウ(緋縅蝶)だ。近づくと飛び立つが、また同じ処に戻って来る。タテハチョウ の仲間に多く見られる占有行動をとっている。

ヒシオドシチョウ

1週間前には本丸北側天端で、2頭が観察されたと聞いている。でもその時には見付けられなかった。
散歩の人が入ってきた。蝶は飛び立ってしまう。それを眼で追うも、見失ってしまう。「動くなよ、じっとして。」側にいる村上(♀)に言って、様子を窺う。
30秒程の後、果たして蝶は舞い戻って来た。今度は村上(♀)の帽子に留まった。

帽子にとまるヒシオドシチョウ

この蝶を大阪城公園で目にするのは、年に2回チャンスがある。春、3月から4月中旬に昨年初夏に生まれ、成虫越冬したボロボロの個体。この時季に交尾して、食樹のエノキやアキニレ等に産卵の後、一生を終える。
そして、5月下旬から6月に羽化して間もない綺麗な個体。
しかし7月には、平野部から姿を消してしまう。標高の高い涼しい処では、盛夏でも観察されるらしい。
大阪城公園でよく見られるテングチョウも初夏に羽化して以来、盛夏には姿を消すが、秋になると再び観察されるので公園内で夏眠しているのだろう。

テングチョウ

対してヒオドシチョウは、10ヵ月間成虫で生存するのに、姿を消して以来翌春まで見られなくなってしまう。昔の図鑑には、「羽化後間も無く休眠にはいる」との記載であったが……単純では無さそうである。
幾つかの説が挙げられているものの、今もって夏以後の経過が謎のままだという。
少なくとも、大阪城公園からは移動していると考えた方がよいようである。
ところで、昨年6月2日に羽化して間もない個体が観察されている。その日の「ひでキング」のブログにアップされている。
今年は5月24日に、私の前に現れた。

ヒオドシチョウ

ヒオドシチョウ

城南地区のサラサウツギ(更紗空木)で吸蜜していた♂と思われる個体である。
翌25日には、豊國神社裏でアカショウビン・ヨタカ・サンコウチョウと、春の渡りのフィナーレを飾った日であったらしいが、この蝶は見られなかったとか。一日違いで見られなかった鳥と見ることが出来た蝶。羨ましさ半分、嬉しさ半分て処かな。
6月3日には、大阪城公園の北側にある大川沿いの緑地でも観察されているので、大阪城公園内或は極近辺で発生したのだろう。
春に見かけた姿とは見違える程に美しい。羽を開いた時の赤橙色に目を奪われる。
名前の由来もこの色から附けられたと言う。緋色に染め上げられた革や組紐で、札(さね)と呼ばれるパーツを結び付けて作られた緋縅鎧に因んだらしい。

…実物の写真が無いので、切手の絵で悪しからず…

切手春日大社に保存されている国宝、赤糸威大鎧(竹虎雀飾)、鎌倉時代の作とか。
初夏に現れた蝶は鎧を纏った若武者、春のそれは「兵どもが夢のあと」と言うところだろうか。
京都の祭礼、祇園祭。山鉾の一つに船鉾がある。「日本書紀」の神功皇后が後の応仁天皇を懐妊しながら、男装して朝鮮へ出兵し勝利したという伝説に由来する。屋形内に祀られた皇后の御神体は、緋縅の大鎧を着けている。
慶長20年(1615年)夏、茶臼山に陣を構えた真田幸村の出で立ちは、鹿の角の前立ちに白熊付きの兜に緋縅の鎧だった。
配下の部隊は、真っ赤な鎧兜に旗差物で赤備えで決戦に臨む。
再来年のNHK大河ドラマが「真田丸」に決まった。どんなヒオドシになるのか少し楽しみにしている。

 

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